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 私のALWAYS 3丁目の夕日

S.Sさん(神奈川県)

私の母は今年で満75歳になるが、たいした持病もなく元気そのものである。健脚なため、70歳を過ぎてから本格的に登山を始め、毎年、秋には山に登るのを楽しみにしている。ご近所でも評判のスーパーおばあちゃんである。

こんな母の実家は、紀伊半島の尾鷲という港町からさらに奥に入った小さな漁村である。子供の頃、母は私たちを伴いよく実家に帰省したのだが、実際、母の田舎は海や山以外は何もないところだった。その日、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や畑で取れた野菜がそのまま食卓に上る。自給自足に近いような生活である。

昼は海で泳ぎ、西瓜やかき氷を食べ昼寝をした。夜の海岸では都会の海では見ることができない夜光虫が見られた。田舎での生活は単調で何もない生活だったが、団地っ子の私にはそんな生活も新鮮に映った。

母の言葉を借りれば、「幼い頃、食べ物でひもじい思いをした経験は一度もない」と言う。母の同世代の人たちの話を聞くと、戦争中から戦後に掛けて、食べ物で苦労した話は枚挙に暇がない。しかし、母は「子供の頃は毎日、鰤の刺身ばかりで飽き飽きした」とか「都会から着物や洋服を持って魚と交換しに来た人がよくいた」という話を私によく話してくれた。


一方、私の父は15年前、脳出血が原因で他界した。父の故郷は横浜で、母とは対照的な人生を送った。私が子供の頃の横浜にはまだ、市電やトローリーバスが現役で走っていた。母の田舎とは違い、都会の感じのするハイカラな街が好きだった。

しかし、この街で戦争を体験した父は別の思い出があったようだ。横浜という土地柄、戦争中は頻繁に空襲があり、食べ物は常に不足していたという。昭和3年生まれの父は戦争中、育ち盛りの少年だったが、毎日食べる物がなく、さつま芋や水団などを食べていたという。生前、父は私たちに「本当に食べたいときに食べ物がない辛さや苦労はお前たちにはわからない」と話をしていた。


今思うと、幼少期から青年期に掛けての食べ物の差や栄養の差が、父と母の寿命の長さを分けたのではないかと私は密かに思っている。健康生活に欠かせないのは豊富な食べ物である。母は、十分な栄養を与えられ、一方の父には十分な食べ物は与えられなかった。これが、結果として明暗を分けたようだ。幼い頃の食べ物の付けは、歳を取ってから確実に来るといわれる。

残念ながら団地っ子の私に、田舎といわれるような場所はない。しかし、もし田舎があるとすれば、それは父や母が育った街の思い出である。私の「ALWAYS 3丁目の夕日」は父母の育った街と私自身の心の中にいつまでも生き続けている。


(2009/10/26)

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