母方の祖母、そして父はともに70歳の坂を越えられず、69歳で亡くなった。二人とも胃癌だった。還暦過ぎた頃から「二人よりは1歳でも長生きしなくては」が、私の口癖になった。二人の享年を越えるまで5年となり、いよいよ"自分の持ち時間"について考えるようになった。
5年。生きてきた時間からすると、いかにも短く、心細く、寂しい感じさえする。だが、「時間には物理的な時間と心理的なそれがある」と読んだか聞いたことがある。確かに5年を「もう5年しか・・・」と思うか、「まだ5年も・・・」と感じるかは、大きな違いだと思う。
私はどうせ生きていくなら「まだ5年も」を心がけることにした。まだ5年もあるからノンビリ過ごそうというのではない。今までより時間の中身を濃く豊かに使い切ろうということだ。
まず起床を1時間早めた。冬場は寒く起きるのが億劫で辛い。だが、気合一番、蒲団を蹴って半身を起こすと、気持ちも起き出そうと働くから不思議だ。早朝の1時間、朝刊に目を通し、読みかけの本を読み継ぐ。外が白みかけたころ、近くの都立公園までウォーキングに出る。
続けていると、馴染みの仲間も増えてきた。「今夜あたり、どうですか?」と誘い合い、近所の居酒屋で飲み会を開くようにもなった。それぞれ異なる世界で生きてきただけに、談論風発が刺激的で愉しい。何より利害が伴わず恬淡としているのが精神衛生上もいい。
ウォーキング仲間との雑談を終えて向かうのは、バイト先のコンビニだ。1年前に自営業を畳んだ後は無職暮らしだったが、午前中の9時から昼まで、午後は4時から6時までのパートで働くようにしたのだ。長年、技術屋で生きてきたから対面販売は気疲れしたが、今では客と世間話を交わし、仕事も楽しい時間になった。
ただし、帰宅して妻に「お疲れ様」と言われるのは、いささか恥ずかしい。疲れるほどの仕事をしていないし、報酬も自営業の最盛期に比べると微々たるものだ。それでも3ヶ月に一度は近場の温泉地なら一泊旅行ができ、古女房の喜ぶ顔を見るのは快い。孫たちにお小遣いも上げられる。
先日、久しぶりに息子夫婦が訪ねて来た折、3歳の孫娘がフラリと偵察(?)に顔を出し、レジにいる私に「おじいちゃん、お店屋さんごっこしているの?」と声をかけてきた。ちょっと照れ臭かったが、お菓子を奢ってやった。働いて収入を得るのは、生き甲斐といえば大袈裟だが、大いに張り合いになっていることは確か。働く分だけ余暇時間の貴重さが輝きを増し、使い方も知恵を絞るようになった。
好きなことをやり、多少は心と体に負荷をかけながらバランスのとれた心身の健康を維持すること、それが私にとって生きる標(しるべ)になっている。健康に留意し、かつ欲張らず、「まだ5年」の時間を慈しみ、味わいながら生きてゆこうと思う。






時間に豊かな命を吹き込む










